尾鷲弁がもっているとても珍しいアクセントの特徴と、尾鷲弁のアクセントがどうやって生まれたのかについて、現時点で分かっていることをお話しします。

2017年3月 公開
2017年10月 更新

尾鷲弁に出てくるアクセントあれこれ

まず、尾鷲弁のアクセントについてのこれまでの調査で、「尾鷲弁にはこういうアクセントのパターンの名詞が見つかっている」という表をごらんください。

拍数 名詞 発音 音声ファイル 同じアクセントの他のことば
1拍
1拍
1拍

拍数 名詞 発音 音声ファイル 同じアクセントの他のことば
2拍 わ(庭) り(鳥)
2拍 し(石) ま(山)
2拍 き(秋) め(雨)

拍数 名詞 発音 音声ファイル 同じアクセントの他のことば
3拍
3拍
3拍
3拍 野郎 ん(木綿) (野郎、木綿のみ確認)
3拍

拍数 名詞 発音 音声ファイル 同じアクセントの他のことば
4拍 友達
4拍 カプセル
4拍 絵はがき
4拍 かみそり
4拍 目印
4拍 いちじく
4拍 ほおずき

尾鷲弁のここがすごい!: アクセントの「変身」

尾鷲弁には、「単独で発音したときは高く始まる単語が、ある特定の条件で高く始まらなくなる」という、非常に複雑で、珍しい現象があります。

言葉 発音 音声ファイル
「手」
「この手」

上にお示ししたように、「手」は単独で発音すると、ー のように、高く始まって、平らに高さが続きます。
ところが、前に「この」がついて「この手」になると、ー のように、「この」のあとで音の下がり目ができ、「この手」の中の「手」は、低く平らに続きます。
「手」を単独で発音した場合と「この」に続く場合とで、高く平らに続くか、低く平らに続くかが変わってきます。このようなアクセントの「変身」は非常に珍しく、尾鷲弁の研究をする上でとても興味をひかれています。
このようなアクセントの「変身」は、「手」に限らず、「糸」や「兜」などのアクセントをもつ単語にもみられます。

言葉 発音 音声ファイル
「糸」
「この糸」
「兜」
「この兜」

「糸」と に対して「この糸」と 、「兜」と に対して「この兜」と となります。
尾鷲弁をお話しのみなさんは、何気なくこのアクセントの「変身」を使いこなしていらっしゃいますが、実はこの「変身」は、身につけようとするととても複雑です。この「変身」を自在に使いこなす尾鷲弁をお話しのみなさんのことを、私は尊敬してやみません。


尾鷲弁はどこからやってきたか

尾鷲弁は、たとえば三重県の北の方の方言や、和歌山県の方言とは大きく違ったアクセントを持っていることはみなさんご存じだと思います。
それでは、尾鷲弁はどのようにして今のアクセントをもつようになったのでしょうか。 私がこれまでに尾鷲弁の調査をした結果では、少なくとも近世初期までは近畿地方中央部の方言と濃いつながりがあったが、その後数百年の間に尾鷲弁独自の変化をとげたとする見方が可能です。

ここからはかなり込み入った話になりますが、少しお付き合いください。

(表: 『国語学大辞典』8〜9ページをもとに作成)
3拍の名詞 平安末期近畿 近世初期近畿 現代京都 尾鷲
「あずき」グループ
「頭」グループ
「二十歳」グループ
「命」グループ
「かぶと」グループ
「ウサギ」グループ
「形」グループ

まず、平安時代末期の近畿地方中央部の方言では、3拍の名詞のアクセントについて、表にある通りの7パターンがあったそうです。なぜ1000年も前の言葉のアクセントが分かるかというと、当時作られた辞書に、単語のアクセントを表す記号がつけられていたためです。
平安時代末期に7パターンあったアクセントの区別が、近世初期になると、「あずき」グループと「頭」グループが、「二十歳」グループと「命」グループがそれぞれ同じアクセントになり、全部で5パターンの区別になりました。これも記録が残っています。
ここからは、現在話されている方言の話になります。現在の京都方言では、近世初期の段階からさらにアクセントの「あずき」「頭」「二十歳」「命」のグループがすべて同じアクセントになり、全部で4パターンの区別があります。
また、尾鷲弁では、京都方言とは違った形で4パターンの区別があります。京都方言で区別されている「ウサギ」と「形」が尾鷲弁では同じになっていて、逆に「あずき」「あたま」の2グループと、「二十歳」「命」の2グループは、京都方言では区別がありませんが、尾鷲弁では区別があります。
ここで重要なのは、一度なくなってしまったグループとグループの間の区別を復活させることはできない、ということです。コーヒー牛乳を作ってしまうと、もとのコーヒーと牛乳に分け直すことができないように、アクセントのパターンも、一度混ざって同じパターンになってしまうと、昔あった区別を取り戻すことはできなくなります。尾鷲弁は、現代京都方言で区別していないグループを区別しています。ということは、現代京都方言ができ上がってから、尾鷲弁のような形に変化することはできないということです。昔の尾鷲弁は、表の近世初期のような状態だったころまでは近畿方言と濃いつながりがあり、その後現代の京都方言の形ができあがる前に枝分かれして別の道を歩き始めたとする見方を私はとっています。
また、少なくとも3拍までの言葉については、古い段階の近畿方言のアクセントのパターンと、尾鷲弁のアクセントのパターンにかなりはっきりとした対応関係があります。このことも、「かつては近畿方言と尾鷲弁の祖先が同じ道を歩いていた」とする見方をとる理由です。

参考文献:
国語学会編 (1980)『国語学大辞典』 東京堂出版.